【考察記事】報道バイアスはなぜ生まれるのか?──公正公平な視点はどこへ行った

1. はじめに

現代社会において、報道機関は「公正・公平な視点で情報を伝える存在」として期待されてきました。
もちろん、すべての報道が完全に中立であることは現実には難しいでしょう。
それでも「公正さ、公平さを建前として掲げる」ことには、大きな意味がありました。

なぜなら、異なる立場や考え方を持つ人々に対し、一定の信頼を保ちながら情報を共有するためには、
報道機関自身が自らの立場をできる限り抑制し、「できるだけバイアスを排除しようとする姿勢」を示すことが不可欠だったからです。

ところが近年、こうした建前すら軽視される傾向が強まりつつあります。
報道機関が意図的または無意識に、特定の立場に強く寄り添った情報発信を行う例が増え、
それが結果として、社会の分断や不信感を深める一因となっています。

本稿では、報道におけるバイアスの構造とその背景を冷静に読み解き、
理性的な情報受信と社会の安定に向けたあり方を考えていきます。


2. 報道の自由と取捨選択の矛盾

報道には「自由」が不可欠です。
しかし同時に、何を伝え、何を伝えないか──「取捨選択」という編集作業も必ず発生します。

ここに、報道の自由と公平性の間に矛盾が生まれる余地があります。
完全に全ての情報を平等に伝えることは不可能であり、編集権は必然的に必要です。
けれども、その取捨選択が偏りすぎると、やがて「情報の誘導」へと変質してしまう危険性もあります。

本来ならば、編集権を行使する際にも「できるだけ多様な視点を担保する努力」が求められるはずでした。
しかし、それが守られないケースが目立ち始めています。


3. なぜ報道バイアスが隠されなくなったのか

なぜ今、報道バイアスは隠されることなく、むしろ表に出るようになったのでしょうか。

一因は「視聴率至上主義」の加速にあります。
情報量が爆発的に増えた現代では、メディア同士が限られた視聴者の関心を奪い合っています。
危機感を煽る、センセーショナルなストーリーが受けやすく、結果として「不安」や「怒り」を喚起する報道が優先される傾向が強まっています。

また、SNSの普及によって、受け手側も自分に都合の良い情報だけを求めがちになりました。
メディア側も、支持基盤となる視聴者層に迎合するスタイルを強めることで、経営上の安定を図る動きが生まれています。

こうして、意図せずして「バイアスを隠さない報道」が増えているのです。


4. 海外メディアとの比較──なぜ海外では許容されるのか

海外、とりわけアメリカでは、報道の「偏り」は当たり前のものとして認識されています。

たとえば、FOXニュースは保守派、CNNはリベラル派というポジションを明確に打ち出しています。
視聴者もそれを理解した上で、情報源を選び、自らの立場を確認する材料にしています。

つまり「バイアスを自認している」という前提があるため、
受け手も一定の警戒心とリテラシーを持ちながら情報に接しているのです。

これに対し、日本では「中立」を謳いながら実態としては偏向している報道が少なくありません。
それゆえ、受け手は「騙された」「裏切られた」という強い不信感を抱きやすくなり、
結果として社会全体の議論が健全に機能しにくくなっています。


5. バイアスが社会に与える影響

報道バイアスが隠されない社会では、情報空間が分断されます。

自分に都合のいい情報だけを信じる「フィルターバブル」が進行し、
異なる立場の意見に耳を傾ける機会が減ってしまいます。
その結果、社会の中で「分断」や「対立」が先鋭化し、議論そのものが成立しにくくなるのです。

また、メディアへの信頼感が低下することで、社会の土台となる「共通認識」が崩壊していくリスクもあります。
これは、民主主義にとっても大きな脅威です。


6. それでも必要な「建前」とは

もちろん、完全な中立報道など存在し得ません。
しかし、それでも「できるだけ中立であろうとする努力」「公正公平であろうとする建前」を守る意義は失われていません。

建前は、完全な中立を保証するものではありません。
それでも、建前があるからこそ、メディアは過剰なバイアスに陥ることを自戒でき、
受け手も「ある程度は信頼できる」と感じることができるのです。

建前を捨てた瞬間、メディアは単なるプロパガンダに堕するリスクを抱えます。
そして社会は、健全な議論と合意形成の力を失ってしまうでしょう。


7. 結論

報道にバイアスがあること自体を責めるのは現実的ではありません。
問題は、それを自覚しない、あるいは隠して中立を装うことにあります。

受け手である私たちも、
「どんなメディアにもバイアスがある」という前提を持ちながら、
できるだけ多様な情報源に触れ、理性を働かせて判断する必要があります。

社会を支えるのは、感情ではなく、事実と冷静な議論です。
それを守るためにも、メディアにも、受け手にも、
「理性」と「誠実な建前」が求められています。

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